今後の展覧会

ミュシャ展 ~運命の女たち~

2017.10.14 SAT ~11.26 SUN

展覧会概要

アルフォンス・ミュシャ(フランス語:ミュシャ/チェコ語:ムハ 1860-1939))は、1860年7月24日、現在のチェコ共和国モラヴィア地方の小さな町イヴァンチッツェに生まれました。ウィーンの舞台装置工房で働きながら、夜間にデッサンを学び、1887年にはパリのアカデミー・ジュリアンで最後の歴史画家と言われたジャン=ポール・ローランスに学びました。1894年の年末に、舞台女優サラ・ベルナールの公演ポスター「ジスモンダ」をデザインしたことで、1895年にサラ・ベルナールと契約を結び、彼女のためのポスターや衣装、ジュエリー、ヘアスタイルから舞台装置まで手掛け、一躍大人気画家となります。1900年、パリ万国博覧会で活躍、アール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものにします。
商業的成功を収めたミュシャは、1910年に故国チェコに帰郷。20点から成る連載《スラブ叙事詩》の制作に着手。スメタナの組曲《わが祖国》にインスパイアーされたと言われ、完成に17年を費やしました。(1928年プラハでの展覧会で全20点を公開)。この時期、チェコへの愛国心を喚起する多くの作品群やプラハ市庁舎の装飾を手がけ、1918年、チェコスロバキア共和国成立にあたっては、新国家のため無償で紙幣、切手、国章などのデザインを引き受けました。1939年春、ドイツ軍がチェコスロバキアを占領した時、「国民の愛国心を刺激する」として捕えられ激しい尋問を受けます。釈放されますが7月14日プラハで死去。享年79歳でした。
本展は、ミュシャの初恋、あるいは人生の転機となったサラ・ベルナールとの出会いを始め、その生涯を彩った運命の女性たちに焦点をあてミュシャ芸術を紹介します。ミュシャの生まれ故郷であるイヴァンチッツェ近郊に居住する医師ズデニュク・チマル博士の祖父母から3代に亘るコレクションに限り、リトグラフのポスター、装飾パネル、さらには水彩画、素描画など、約150点を展覧いたします。

作品リストはこちら

ギャラリー・トーク

会場:美術館「えき」KYOTO
10月14日(土)/午前11時から(約30分)
古谷可由(ふるたによしゆき)氏(ひろしま美術館 学芸部長)
※マイクを使用し、会場内を移動しながら解説いたします。
※事前申し込み不要。ご参加は無料ですが、美術館入館券は必要です。
※混雑した際は、入館制限をさせていただく場合がございます。

ミュシャ展×ネイルバー

ジェイアール京都伊勢丹9階<ネイルバー>では、本展に合わせた特別メニューをご用意しております。
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フライヤー画像(クリックすると拡大します)

開館時間 午前10時~午後8時(入館締切:閉館30分前)
※但し、百貨店の営業時間に準じ、変更になる場合がございます。
入館料(税込)
 当日前売
一般 900円 700円
高・大学生 700円 500円
小・中学生 500円 300円
前売販売期間

2017年8月19日(土)~10月13日(金)まで。
お求めは、当館チケット窓口(休館日を除く、10月9日まで)、チケットぴあ(Pコード768‐485)、ローソンチケット(Lコード52664)、京都新聞文化センター、など。

※高校生以上の学生のお客さまは学生証のご提示をお願いします。学生証がない場合は一般料金となります。

主催 美術館「えき」KYOTO、MBS、京都新聞

見どころ

本展は4章構成で、約150点の作品をご覧いただきます。(チェコ共和国/チマル・コレクションより)

【第一章:幼少期 芸術のはじまり】
1860年、モラヴィア地方(現チェコ共和国)のイヴァンチッツェに生まれたミュシャ。1879年にウィーンに移り住み、絵を学ぶ。ここでは、初期の素描、城館の装飾デザインなど、なかでもその当時に関係のあった女性にまつわる作品を紹介。

素描「農民風のブラウスを着た少女」
1878年/木炭/46×35cm

ミュシャが18歳のとき描いた肖像画である。ギムナジウム(中高一貫校)を退学になってイヴァンチッツェに戻っていたころの作品であり、独学で素描を描いていた時期にあたる。彼は、民族的な特徴があらわれた服装の人物像を描くことを好み、この作品以外でもさまざまな種類のチェコの民族衣装を用いて描いた。
ここでは、少女の襟元から、おそらく刺繍がほどこされているのであろうブラウスが覗いている。少女の顔、とくにその目は、きわめて精巧に描かれており、ミュシャは肖像画に対する自らの才能を存分に発揮した。

素描「テレザ・トラプル」
1883年/木炭、白色ハイライト/41×36cm

テレーズ・トラプルは、ミュシャの幼馴染の少女である。二人は彼女が祖母に会いに来ていたイヴァンチッツェで出会った。

【第二章:パリ 人生の絶頂期】
1882年、ミュシャはパリの地を踏む。そして人生の転機となった女優サラ・ベルナールとの出会いがあった。彼女の舞台ポスター「ジスモンダ」で大成功をおさめ、名声を勝ち得たミュシャのパリ時代の作品を紹介。

連作装飾パネル「果物(ホーム=デコ社)」
1894年/リトグラフ(カンヴァス)/195×120cm

4点の連作装飾パネル「花」「果物」「狩り」「魚釣り」は本展のハイライトともいえるもので、このシリーズは数枚しか残っておらず、わかっている限りではこの4点が一度に出品されたことはない。これらは、室内装飾を専門とするホーム=デコ社(Home-Decor)のためにデザインされたもので、「ジスモンダ」のポスターと同年に制作されたものだが、その表現はきわめて写実的なものであり、アール・ヌーヴォーにおける装飾的な「ミュシャ様式」に通じる芸術性を有し、地面や木々などのデザイン的で意図的な配置が見られるが、一見するとミュシャの作品ではないかのように思われる。

素描「少女と鳩」
1899年/鉛筆、白色ハイライト/60×30cm

パリ時代に画塾で素描講座の教鞭もとっていたミュシャの力量を示す素描多数が出品されている。優しく鳩を撫でている少女の肖像を描いた最も美しい素描のひとつで、ミュシャは、パリで最も充実していた時期にこの大きいサイズのデッサンを描いた。彼の見事な白色ハイライトの用い方をここに見ることができる。残念なことに、このデッサンは完成されていない。またわかっている限りでは、これまでに一度も展示されたことのない作品である。

ポスター「ジスモンダ」
1894年/リトグラフ/216×75cm

この作品は、ミュシャを、パリで有名にした記念すべき作品であるとともに、ミュシャが行ったサラ・ベルナールとの最初の仕事であった。
戯曲「ジスモンダ」は、当時、パリの演劇界を代表した劇作家ヴィクトリアン・サルドゥ(Victorien Sardou)が、サラ・ベルナールのために書いた6つの芝居のうちのひとつである。アテネを舞台にした宗教的なテーマを扱ったものであり、全四幕からなっている。 ポスターには、第三幕のクライマックス、ビザンティン風の豪華な衣装を身に付けたサラ演じる侯爵の未亡人「ジスモンダ」が、右手に棕櫚(シュロ)を持ち、「棕櫚の日曜日(復活祭直前の日曜日)」の行列に参加する場面が描かれている。
クリスマス休暇で多くのデザイナーが出払っているなかでの急な依頼のうえ、年明けの元旦から張り出したいという希望であったために、たまたま印刷所に残っていたミュシャのもとへこの仕事が舞い込んだ。1895年1月1日、パリの路上に貼り出され、多くのパリのポスター収集家の間でセンセーションを起こした。それは、夜中に壁から糊付けされたポスターをはがそうとしたり、ポスター貼りを買収してそのポスターを手に入れようとするものが出るほどだった。この仕事の後、ミュシャは、サラ・ベルナールと、6年にわたる契約を結ぶこととなった。

【第三章:アメリカ 新たな道の発見】
1904年、ミュシャは招待を受けてアメリカへ渡った。アメリカへもその名声が届いていたことから、手厚い歓迎を受ける。パリやプラハへの一時帰国を挟みつつ、1910年までアメリカに滞在。パリ時代から構想を抱きはじめていたという《スラヴ叙事詩》制作の実現化に向けて、十分な費用を工面するという目的があった。ここでは、パリ時代から晩年への過渡期にあたる、アメリカ時代の作品を紹介。

雑誌『ザ・バー・マッキントッシュ・マンスリー』の表紙
1907年/リトグラフ/32×19cm

編集者のウィリアム・バー・マッキントッシュ(William Burr McIntosh)は、アメリカの作家、俳優、写真出版者、記者であり、映画およびラジオの開拓者でもある。この雑誌は、1903-10年の間、刊行された月刊雑誌である。著名人の写真や名所の風景写真、また、芸術関係の記事などが掲載された。

【第四章:故郷への帰還と祖国に捧げた作品群】
ミュシャの後半生は、スラヴ民族とその文化への貢献に身をささげたものであった。1910年に母国へ戻ったミュシャは、西ボヘミアのズビロフ城に住まいとアトリエを移し、晩年の大作《スラヴ叙事詩》を仕上げるために奔走する。ここでは、ミュシャ祖国色あふれる作品群を紹介する。

ポスター「《スラヴ叙事詩》展」(部分)
1928年/リトグラフ/149×102cm

チェコスロヴァキア独立10周年の記念日1928年10月28日を挟んで、9月23日から10月31日まで、プラハのヴェレトゥルジェニー宮(現プラハ国立美術館)で開催された《スラヴ叙事詩》の展覧会ポスター。
1928年秋、ミュシャがプラハ市へ寄贈した《スラヴ叙事詩》全20点のうち《スラヴの菩提樹の下で行われるオムラジナ会の誓い》以外の19点が展示された。ところが、このポスターに描かれた竪琴をつま弾く少女は、その展示されなかった作品のなかに描かれた図像であり、ミュシャの娘ヤロスラヴァをモデルにしている。背景に描かれた、それぞれに過去・現在・未来を見つめる三つの顔を持つ青い人物像は、古代スラヴの神である。

油彩画「エリシュカ」
1932年/油彩/カンヴァス/121×81cm

この油彩画は、2009年ニューヨークのサザビーズに出品された作品で、ポリーフカ(Polivka)家の所蔵のなかにあったものである。おそらくチェコの民族的な様相を示しているがゆえに、このときアメリカでは落札されず、後にチマル博士がアメリカ合衆国に住むエリシュカのふたりの娘から購入した。
ここに描かれている少女は、チェコ出身でミュシャの友人であった建築家ヤロスラフ・ヨゼフ・ポリーフカ(aroslav Josef Polívka)の娘、エリシュカ(Eliška)
を描いたものである。チマル博士自身が、自らのコレクションのなかで最も高く評価している作品である。

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